幻のエンディングという如何にも都市伝説らしい都市伝説。
しかし、それは実在しました。
徹底調査によって立てられた仮説をご堪能あれ。
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ジブリ作品には、必ずと言って良いほど都市伝説がついて回りますが、「天空の城ラピュタ」にも、もちろん都市伝説が存在します。
今回はその中でも別ヴァージョンのエンディングが存在するという都市伝説です。
ラピュタのエンディングはというと、皆さん覚えていますでしょうか?
「バルス」はクライマックスシーンではありますが、あそこで終わりではないんですよ(笑)
本来のエンディングは、パズーとシータが滅びの呪文「バルス」を唱え、崩壊するラピュタ城から脱出!
ドーラ達と合流してお互いの無事を喜び合い、やがて別れてラピュタの木が空間を漂っている風景にスタッフロールが流れてくるというものです。
しかし!
テレビ放映の際に、違うヴァージョンのエンディングが流れたという噂が流れています。
1人や2人なら、「夢?」や「空想?」で終わりそうなのですが・・・
この都市伝説の面白い所は、その違うヴァージョンのエンディングに対して、

「自分もそのヴァージョンのエンディングを見たことある!」
と、いう目撃者が続出している点です。
都市伝説は、たまにこうして話が合う人が出現するという現象が起こることがあるのです。
その場合、盛り上げようとして嘘をついているのか、本当に目撃したことがあるのかという判断はなかなか難しいところなのですが。
今回の都市伝説に関しては、どうやら・・・本当のようです。
仮説はこうです。
金曜ロードショーは、映画館で上映される場合と比べて時間の尺の問題があります。
そのため、スタッフロールは画面上に大々的に流さずに、隅の方でさくっと流して対処します。
それに合わせてエンディングの映像も本来のモノではなく代用したものを流したりすることがあるんです。
その代用されたエンディングに謎を解く鍵がありそうなのですが、今回の都市伝説に関してものすごい論争になっているのは、その代用されたエンディング映像が出回っていないためですね。
おそらく金曜ロードショーで何十回も放送された「天空の城ラピュタ」の歴史の中で、毎回のように流されているものではなく数回程度しか流れなかったのでしょう。
私もその昔我が家で録画されたものを確認しましたが、ごく普通のエンディングでした。録画してあるにも関わらず、ついつい金曜ロードショーを見てしまうことも多いのですが、残念ながら別ヴァージョンは見た事がありません。
視聴している際にはまさかそんな都市伝説を生むような映像が流れてくるとは思ってもいませんので、撮影したり、録画したりはしないですよね(汗)
今や検索すれば何でも見ることができる、これだけのネット社会になっているのにも関わらず、映像が流出していないのは、確かに少し謎めいたところがありますよね。
しかーし!!!!!
今回は静止画を見つけましたので掲載します。
携帯で撮影したものらしいので、少し画像が荒いですが、貴重な映像です。
「パズーとシータが抱き合う」
「シータと水牛」
「凧に乗る二人」
「シータに会いにきたパズー」
「おわり」
確かに通常のラピュタの通常のエンディングの木が浮いている映像とは違う映像に、各カットのスタッフの名前が出ています。
本当に違うヴァージョンのエンディングは存在するようです!
ですが!
このシーンの数々
よくよく見てみると
本編で見たことのあるような気がしませんか?
検証を行っていきたいと思います。
「パズーとシータが抱き合う」
「シータと水牛」
「凧に乗る二人」の画像だけ、ちょっと見つけられなかったのですが確実に本編映像です。
「シータに会いにきたパズー」
「おわり」
上記の画像と比較してみると一目瞭然!
つまり本編の使いまわしにスタッフロールを重ねたものだということですね。
そうなるとテレビ局がエンディングを流す時間がなかったので、自作の簡易版を流したものが都市伝説化して物議をかましているということのようですね。
日本テレビさんもまさか、時間を節約のための独自の工夫がこんな騒ぎになるとは思わなかったはず・・・。
ちなみに上の画像でひとつだけ手書きっぽいものがひとつありますが、これは「スタジオジブリ作品関連資料集Ⅰ」の65ページ掲載のイラストのようです。
これは考案はされたものの、13歳の少年(後に年齢設定は撤廃されましたが、当初はパズーは13歳という設定でした。ちなみにシータは12歳という設定だったようです。)であるパズーがオーニソプター(羽ばたき飛行機)を自作するのは、さすがにハイスペックのパズーでも無理があるだろうということで、お蔵入りになったシーンのようです。
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これが事の真相であるという見方が最も有力ですが、ネット上では上記の映像だけでは説明のつかない証言もあります。
- シータの故郷をパズーが訪れたシーンがあり、村人たちが大歓迎
- シータが飛行石を暖炉に隠すシーンがあった
- エンディングにセリフがあったという意見がある
- 水牛がいたという意見や、いなかったという意見
- シータの故郷であるゴンドアで握手をして二人は別れる
- 「ここがシータの育った所なんだね」と暖炉の前で話してた
などなど・・・。
上記の映像と見事に合致する証言もありますが説明のつかないものもあります。
もしかしたら上記の映像は違うバージョンのエンディングのごく一部であり、もっと他にも本編でのシーンを使いエンディングを組み立てていたのかもしれません。
もしくは、本編の様々なシーンと混同してしまっている証言が出てきているのか・・・?
でも、「ここがシータの育った所なんだね」というパズーのセリフはどうやっても説明がつかないですね。アフレコしちゃってますもん。笑
実は、この都市伝説に関してはジブリ側も公式な見解をしています。
小説版の後日談というのは、まとめると
- シータはパズーが暮らす街に一旦到着しますが、半年後、そこから鉱夫によってシータは故郷であるゴンドアの村に見送られた
- シータの髪も元通りのおさげになった頃、鳥型飛行機を完成させようとしているパズーが、それに乗ってゴンドラの村に遊びに行く旨の手紙をシータに送る
というものです。
公式が発表している「天空の城ラピュタ」の後日談はこれだけです。
こうした話は上記のゴンドラの村の暖炉の前で二人が話をしているシーンに繋がりますね。
これに対する仮説
複数人の人が同じ話を空想し、それを現実のものと混同している説
子供・育児関係の世界では、「7歳になるまでは夢の中」という台詞があります。
ドイツの教育者ルドルフ・シュタイナーの考えで、子供は7歳になるまでは空想と現実に起きることの区別がつかない、だからと言って大人の考えに引っ張り上げるのではなく、それを大切に見守ろう、という思想です。
5歳の子は仮面ライダーは本当にいる!と信じていて、「大きくなったら仮面ライダーになりたい!」と、本気で信じています。
でも、うっすらと変だな・・?と思いつつも空想と現実を行ったり来たりしながら、やがては虚構と現実の区別がつき、5年生にもなれば、「仮面ライダーを演じれるような俳優になりたい!」と言うようになるのです。
つまり、8歳までに「天空の城ラピュタ」を見た子供は子供心に色々想像します。

「この後シータとパズーはどうなるんだろう?」
その時、パズーの作中でのセリフである、

「見たいんだ。シータの生まれた古い家や谷やヤクたちを。」
と言ったセリフから、
→シータの故郷をパズーが訪れたシーンがあり、村人たちが大歓迎
→「ここがシータの育った所なんだね」と暖炉の前で話してた
などが思い浮かぶかと思います。
同じくシータのセリフである、

「あの石は外へ出しちゃいけないものだったのよ。だからいつも暖炉の穴に隠してあって. 結婚式にしか付けなかったんだわ!」
という、飛行石を無防備に首からかけていたことを激しく後悔するシーンを見た時に、今後シータは飛行石を身に着けないだろうという考えから、
→シータが飛行石を暖炉に隠すシーン
を、想像してもおかしくかりません。
また、ラピュタのエンディングでドーラ達と手を振って別れた後に、パズーがそのままシータをゴンドアに送り届け、
→シータの故郷であるゴンドアで握手をして二人は別れる
という空想をした人が何人もいたのではないでしょうか。
水牛がいたり、いなかったり、という違いも、同じ映像を見たからではなく、空想のイメージだとしたら説明がつきます。
どれも常識の範囲内であり、
「パズーがこの後政府の諜報部員になり、ムスカの後釜に座って今だにラピュタを追っている!」
とかいうとんでもない空想は1つもありません。(探せばあるのかもしれませんが)
「天空の城ラピュタ」を見た8歳までの子供達が色々想像し、それが一部現実の記憶として定着してしまった、と考えられないでしょうか?
再放送を含めほとんどの子供が見ているはずの「天空の城ラピュタ」、似通った想像をした子供がいても全く不思議ではありません!
真相は誰にも分かりませんが。
自分の中では一部解明という感じですかね・・・。
さすがにここまで調査して出てこない情報と言うのは、存在しないものである可能性が高いような気がします。
とにかく、謎が多い都市伝説。
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