作品を超えた関係性を随所に出してくるジブリ作品。

その中で囁かれる一つの噂・・・。

「千と千尋の神隠し」の駅で誰かを待っている少女は誰?

その真相を究明していきます。

 

 

 
 

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宮崎監督の手によって生み出された「千と千尋の神隠し」は2001年に公開され、今でも歴代興業収入ランキングでは上位に入るほどの、歴史的名画として語り継がれています。

高畑監督の手によって生み出された「火垂るの墓」は1988年に公開され、今もなお、戦争の恐ろしさを現代に教えてくれる作品の一つとしてお茶の間に愛されている作品です。

今回は、そんな「火垂るの墓」と「千と千尋の神隠し」の関係性を紹介します。

 

 

駅の少女=節子説

「千と千尋の神隠し」の作品中で、千尋は大怪我を負ったハクを助けるために銭婆のいる電車で6つ目の「沼の底」という駅へ行こうとして電車に乗りますね。

その電車が最初に停車する駅「沼原」という駅があるのですが、記憶にあるでしょうか?

 

 

こちらの画像です。

スタジオジブリ作品「千と千尋の神隠し」より引用

 

ずっと電車を見ている1人の少女がいるんですね。

「火垂るの墓」は節子が作品の後半で死んでしまいます。

そして、後を追うように兄の清太が駅舎で死んでしまいます。

 

この駅舎で死んでしまったというのがキーワード。

先に死んでしまった節子は、いずれ後を追ってくるであろう兄を駅でずっと待っている・・・と考えることが出来ます。

そのために誕生した「千と千尋の神隠し」と「火垂るの墓」が、実は繋がっているのでは・・・という都市伝説です。

 

これには「千と千尋の神隠し」で展開されているあの銭婆に行くまでの描写が「死の世界」に繋がっているという都市伝説があるため、それにも関係した都市伝説です。

40年前の使い残しという電車の切符をくれた釜爺は電車のことを、

釜じい

「昔は戻りの電車もあったんだが、近頃は行きっぱなしだ。」

という事実を告げます。

進むことはあっても戻ることがない・・これは時間の経過と同じです。

 

また、「行く=逝く」ともとれるため、ここで登場する電車は「あの世行きの電車」という解釈が出来るのです。

電車に乗っている乗客の身体が真っ黒で少し透けているのは、生きる希望も勇気も未来もないからであり、途中に駅が設けられているは、自殺を踏みとどまる人が降りる場所だとも噂されています。

つまり、自殺志願者が乗ってくる電車・・・これが「千と千尋の神隠し」の電車の下りが「死の世界」と関係していると囁かれる根拠です。

 

 

そのため、「火垂るの墓」で先に死んでしまった節子が、自殺さえも考えかねない兄を駅で待っていてもおかしくはないと言えるのです。

 

 

このような経緯から誕生した都市伝説ですが、両者を比較してみましょう。

 

 

画像を見る限り、この沼原駅で待つ少女は節子より2-3歳くらい年上くらいに見えますね。(体型がぽちゃっとした幼児というより児童、という感じです)。

もしも、死んだ状態で待っているのであれば成長はしないはずです。

※死後の世界で成長してしまったのであれば、もはや何も言うことが出来ないですが・・・。
しかし、清太が節子の後を追って亡くなってしまうまでに、そこまで成長する期間はありません。

また、服装も違います。

そのため、この説は十分否定できるものがあると個人的には感じています。

 

もしも、節子である可能性があるのであれば、それは死後の世界で節子が成長した事が大前提。

そして、おそらく亡くなった清太とは会えなかったのでしょう。

会えずにずっとさまよい続けた結果、成長した姿で「千と千尋の神隠し」の生と死の狭間の世界に映り込んでしまったのかもしれません・・・。

 

 

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駅の少女=メイ説

この都市伝説には、実はもう一つのジブリ作品が関わっています。

それが「となりのトトロ」。

上記の少女が、「となりのトトロ」のメイであるという都市伝説もあるのです。

 

さつきとメイが実は作品内で死亡している、という「トトロ死神説」の都市伝説から波及して誕生したものですが・・・

 

この駅の少女、節子にも見えませんが、メイにはもっと見えません。

両者を比較してみましょう。

 

スカートという共通点はあるものの、年代も体型も髪型も全てが違って見えます。

衝撃的なのは、メイちゃんが3頭身だということ。笑

節子の方が顔が小さいのですね。

 

「となりのトトロ」と「千と千尋の神隠し」の関係性はもう一つ囁かれています。

それは、電車にさつきとメイが乗車しているというもの。

根拠は前述したものと同様です。

しかし、コレに関してはメイとさつきのような少女が電車にいる描写は見つけることが出来ません。

全くのデマと言えるでしょう。

 

 

ということで、「千と千尋の駅の少女=節子説、メイ説」はどちらも限りなくデマであると言えるでしょう。

しかし、そこには作者しかわかり得ないこともありますし、平気で後付けもしちゃう宮崎監督ですから、もしかしたら「成長した節子だ!」なんて発言がいつか飛び出すかもしれません。

 

こうした作品を超えて繋がりを感じさせる都市伝説はジブリにはたくさんあって面白いですね。

宮崎監督が制作する作品には「余白」が多くあり、それによって視聴者それぞれが感じるものが違ってくるため、ここまで歴史に残る名作が多いのかなあと感じます。

それが都市伝説を生んでいる要因にもなるのですが、自分が感じたモノとは違った角度から作品を見ることができるため、非常に参考になりますね。

このサイトでもそうしたジブリに関する都市伝説を多数紹介していますので、お時間がある時にご覧ください。

 

 

ここでちょっとしたマメ知識!

この電車の名前は海原電鉄と言います。

現実には存在しませんが、モデルとなったのは小田急鉄道や相模鉄道と言われています。

さらに、海面上を走るシーンは、伊勢湾台風(1959年に上陸し、愛知県・三重県に甚大な被害を与えました)後の名古屋鉄道常滑線がモチーフ!

浸水被害がひどかった愛知県は、海上に設置した仮線路を電車が運行、海水が除去されるまで、電車は海面の上を走っているように見えたとか・・まさに海原鉄道!

実際の風景がモデルにしたものなんですね!

この当時は大変な事態だったとは思いますが、神秘的な光景ですね。

 

また、千尋はリンの漕ぐ桶(実はこれは、昔、土葬していた時代の棺桶の形です・・!)に乗って駅まで行きますが、電車の先頭にあるプレートに「中道」と記されていますね。

中道の意味を調べると「進行の途中。達成する途中。」

あの世とこの世を走る途中、という意味で中道なのでしょうか?

または仏教用語での中道は「執着から離れ、正しい判断をもとに行動すること。」

これはカオナシに両の手の平いっぱいの金を差し出されても、

「いらない、ほしくない。」

と言い、大切なハクを助けるために走る千尋の行動そのものですね。

 

他にも中道には「両極端に捉われず、自由な立場で行動すること。」という意味もあります。

両極、とは湯婆婆と銭婆の2人を指しており、姉妹を繋いでいる電車、という解釈もあるようです。

 

物語の中でも、銭婆が「私達2人で一人前なのに気が合わなくてねぇ。」というセリフもありますね。

宮崎監督はどういう意味を込めて「中道」と記したのでしょうか・・・。

宮崎監督は、神話や雑学、昔話、政治などに非常に関心が深いために、上記のような仏教用語を絡めた解釈は十分にやりかねないところがあります。

まあ、しかし、答えは宮崎監督のみぞ知るところ・・・。

 

信じるか信じないかは、あなた次第。

 
 

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